昨日、とてもお世話になった一人の女性にお礼を伝えに行きました。
彼女は昨夕、天に召されました。
別れ
先週、もと職場の友人から連絡をもらいました。
とてもお世話になった方が、もう長くはなさそうだと。
99歳のその方は、私が介護士になりたての時にとてもお世話になったお年寄り。
一目会いたくて、
昨日ようやくいけました。
城南区別府にある小さな特別養護老人ホームよりあいの森のリビングに置かれたベッドで、彼女は横たわっていました。
亡くなりそうだからといって、お部屋に閉じ込めたりしない。
いつも通りみんなが生活しているところで、見送る。
よりあいのお見送りは、私が勤めている時からそうでした。
彼女は開いてるか閉じているかわからないくらいの目で、遠くを見ているようでした。
大きな声でお名前を呼び、「大丈夫ですかー?」と声を掛けましたが、迷惑そうに一回だけ「ああ!」と、声を出してくださいました。
そんなに暖かくない手を握って、
心からお礼と敬意をお伝えしました。
彼女と出会ったときから、彼女は認知症でした。
いつも凛としていて、とても強くて、優しくて、ユニークで、情が厚くてすぐにもらい泣きしてくれて、
怒ったり、笑ったり、泣いたり、
こんな人になりたい
私のお手本にしているお年寄りでした。
早く会いに行かないと、いつ旅立ってしまうかわからない。
そんな焦った気持ちで一週間を過ごしましたが、なかなか行けず。
もう会えないかもしれないと何度も思いましたが、会えました。
私のことを待っていてくれたなんて、おこがましいことは思えませんが、
見送る側のエゴとして、
お礼を言わせていただけたこと、
最後の姿を見せていただいたことに、ただただ感謝です。
生き抜く
お見送りさせてもらう立場の人は、
生きてるうちに顔を見に行きましょう!
死ぬという言葉が嫌な方もいらっしゃるので、私は
生き抜く
という表現をよく使います。
それは、今までお見送りをさせていただいた方を見てきて、本当にそう感じるからです。
誰も「死」に向かってる人なんていない。
みんな最後まで生きていました。
最後の呼吸まで、生き抜いておられました。
生き抜いた結果あるのが、死なんだと感じています。
生きているうちに会いに行きましょう。と私がいうのは、決して「顔をみせてあげてください!」という意味ではありません。
大切な方が生き抜いている姿をみることで、
大きな力をもらえます。
不謹慎かもしれませんが、私は昨日尊敬する彼女のお見送りにいき
「あとちょっとだ!がんばれ!」と声をかけていました。
とても力強い姿(という表現が正しいのかはわかりませんが、)を見せていただきました。
どう生き抜くか?
どう生き抜きたいですか?
そうですね。私もそう思います。
自分がいなくなった世界に自分は口をはさみません!
残った人で好きに決めてもらっていい!
しかしです。
それが案外めんどくさいんです。
絶対、遺産でもめたりしない
大体、遺産もそんなにない
家と土地
預金口座がいくつか
対した財産も作ってやれんでねー
なんて言ってるそこのあなた!
もめてないなら遺言書、作りましょう。
せっかくもめてない仲の良いご子息たちの仲が壊れてしまわないように、ちゃんと遺言書をつくりましょう。
立つ鳥跡を濁さず
とは、無言で立ち去ることではありません。
立ち去った後で波が起きないようにすることです。
遺言書がどんな風に便利何かについては、近日ご説明いたします。
今日は、私の大好きな尊敬する方のご冥福を祈って、
ブログを書かせていただきました。